米国でのピンクリボン誕生の経緯12008/06/12 12:34

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みなさまのポチのおかげです。OUTポイントも伸びて、うれしい限りです。

関心を寄せてくれる人が広がっていくと同時に、
「趣旨は理解できるけれど、署名に協力しよう!とまでは踏ん切りがつかない」
といった反応もいただいています。

でも、まずは関心を持っていただくことが第一歩。
これまでピンクリボン・チャリティについて疑問をなげかける署名活動など
一度もなかったはず。
ですから、すぐに大勢の方にご理解いただける内容ではないだろうと
重々承知しています。

今後も少しずつブログに記事を書いていきますので
ホームページの趣旨と合わせてお読みいただき
ご協力いただけるかどうか、じっくりご検討いただければ幸いです。
また、記事を書いていくと言っても最初にお断りしたとおり
わたしはピンクリボンの専門家でもなんでもありません。
誤解や勘違いもあるかと思います。
よって何か疑問に思われた点やご意見などおありでしたら
どうぞここのコメント欄にご記入いただくか
ホームページの問い合わせフォームをご利用の上、ご指摘ください。

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さてさて、昨日は「ピンクリボンの由来」についていろいろ説があることを見ましたが
ピンクリボン発祥の地といわれているアメリカではどうなのか。

アメリカ版のウィキペディアで“Pink ribbon”の項目を見てみました。

次のようなことが書かれています。

リボンに何か意味をこめて使い出した最初の事例は「黄色いリボン」で、最初軍隊でうたわれていた曲が、1917年に「ラウンド・ハー・ネック・シー・ウェアズ・ア・イエローリボン」となり、1940年代にさまざまにアレンジされた(訳注:1949年のジョン・ウェイン主演映画『黄色いリボン』にも出てきた歌ですね)。

70年代にリリースされた「タイ・ア・イエローリボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・ツリー」という曲にちなみ、兵士である夫をイラクで人質にとられた女性が、夫の無事の帰還をいのってリボンを木にむすんだ。そして友人や家族たちが彼女にならってリボンをむすんだことで、リボンが「メッセージを伝えるための道具」として全国民に認知された。

1990年代に入って、「黄色いリボン」にヒントを得たエイズの活動家たちが「レッドリボン」を活動のシンボルとして使いはじめ、さらにそれを見た各種慈善事業団体がリボン採用にうごきだした。

ニューヨーク・タイムズ紙は1992年を「リボンの年」と宣言した。

なるほど。
いま四十代後半のわたしには
「黄色いリボン」も「レッドリボン」もすぐにピンと来てしまう存在ですが
みなさんはいかがでしょう。

そしてピンクリボンの登場となるわけですが、それは次回のお楽しみに。

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コメント

_ ぬこ ― 2008/06/12 20:02

見やすくって、きれい♪ ピンクがいいアクセントですね。

_ てらだ ― 2008/06/12 22:26

ぬこさん
おほめの言葉、ありがとうございます!
ちーっとずつ進化していく過程も、お楽しみください。

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_ Moon Prison - 2008/06/12 21:06

みなさん、

『グラマラス』の乳がん撲滅チャリティ・ヌードに抗議する会

というのを、ご存じですか?

この会は、“乳がん撲滅チャリテ��...